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2011'03.18 (Fri)

☆地震の日のこと☆

今回の地震の被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。



地震が起きた時、私は一人で電車に乗っていました。
パパがお休みをとってくれていたので
ここたんをお願いし、用があったので出かけたのです。

その帰りの電車でした。

地元の駅にあと少しで到着するというところで
電車が停まりました。

信号か何かだと思っていました。

すると、揺れを感じたのですが
最初は、ここは橋の上かな?と外も見ずに思いました。

しかし、揺れがどんどん激しくなり、尋常ではない!
しかもなかなかおさまらない!!

窓の外を見ると、公会堂みたいなところから
わーっと人が出てきました。

畑にいた人も立っていられず、しゃがみこんでいました。

自分の状況を確認すると
土手の上のような少し高いところのカーブで電車は停まっていました。

揺れている最中に、
『只今、震度5強の地震が発生したため、緊急停車いたしました。』
というアナウンスが流れました。

電車が倒れて落ちる!!と思うほど揺れました。

私、どうなるんだろう・・・
このまま電車ごと落ちるかもしれない!と
体に力を入れて少し覚悟していました。

ここたんとパパは大丈夫!?
実家のみんなは!?

いろんなことを一気に考えました。

長い揺れがおさまり、ほっとすると
緊張が解けたのか、後からドキドキして手が震えました。

こわかった。

他の乗客たちは、意外とみなさん冷静で
座席に座ったまま動かず、ざわめきもほとんどありませんでした。

震える手で、パパに電話をかけたけど
その頃にはもうつながりません。
何度かけてもダメでした。
メールは送れたけど届いているかどうか・・・
向こうからも連絡してるだろうと思うのに、メールも電話もきませんでした。
(この時のメール、5時間後くらいになってパパに届きました。
その時にはもう一緒にいたのですけど。)

緊急停車位置から駅までが近かったためか
車両と線路の点検をした後、電車は徐行運転し
どうにか駅までたどり着けました。

駅のパーキングに車を停めていたのだけど
街中停電していて、出入り口のバーも上がらず
しばらくしてから非常用出口を開けてもっらって出ることができました。

そこからは、一目散に家へ向かいました。
ここたんとパパは無事なの!?
そんな思いでいっぱいでした。
でも、この日、パパとここたんはパパの実家に行くことになっていたから
居場所もわかっているし、どこか気持ちに余裕がありました。
敷地調査の業者さんがくることになっていたので
その時間は、実家にいる確証があったのです。
実家の方が、アパートより頑丈だし、周りに高い建物もないので
少し安心感がありました。

そうは言っても、やっぱり顔を見るまでは心配でしたけど。

信号は全て機能していなくて、交差点は危なっかしい状態だし
すでに渋滞もしていました。

その間にも、車に乗っていても大きい地震だと感じるくらいの
余震もありました。


アパートは、実家への通りみちなので
火事になっていないかとか、火元は大丈夫かなど
さらっと確認してから実家へ向かいました。

その時に、パパと遭遇。

パパは私と連絡が取れないので、
実家から駅に迎えに行こうとしてくれて
アパートを通りすぎるところで偶然会いました。
乗る電車の時間を連絡しておいてよかった。


実家にて、ここたんと再開。
家族みんながそろいました。
よかった。。。

それなのにここたんは、【私が迎えに来た=帰ることになる】
と思い込み、ばぁばにしがみついて私から逃げ回る(涙

(両家のばぁばのことがが大好きで、実家に遊びに行くといつも
『帰りたくない!』と泣いたり駄々をこねたりしているのです。)

ママはこんなに心配で会いたくて、抱きしめたかったのに。

ここたんは事の重大さは、ほとんどわかっていない様子でした。
まだ3才になったばかりだからね。

でも、地震の時、パパの車がもの凄く揺れていたのは見ていたようで
『パパの黒い車がこうやって揺れたの!!』と
自分の体で表現して教えてくれました。


私の住む地域は、次の日の朝まで
停電と断水でした。

実家はオール電化なので、何もできないような状態でしたが
倉庫から出してきた古ーいストーブが、本当に役に立ちました。
寒い日だったので、本当にありがたいものでした。

明かりは、懐中電灯とロウソクを家中からかき集めてどうにか確保。
ロウソクはお仏壇からも借りました。

食事は、卓上コンロを使ってうどんなどを簡単に作ったりしました。
近所の人が、ご飯を炊いて届けてくれたりもしました。
義父は、屋根が落ちてしまった近所の家にすぐに駆けつけ
手伝ったり、パパは信号がとまっている交差点の交通整理に行ったりもしました。

こういう時、普段からの地域の絆とか助け合いが
本当にありがたいし、力を発揮する大切なものだとあらためて感じました。


食事をしてまた少し落ち着くと
自分がギリギリな状態で帰ってこれたことに初めて気がつきました。

あと1本遅い電車に乗っていたら
家には帰れていませんでした。

都心で一晩、どうやって過ごしていたのでしょう・・・
ぞーっとしました。


そして、私の実家の家族や、ディズニーシーに行っていた義弟家族や
小笠原に旅行に行っていた弟にも
なかなか連絡がつかなくて・・・
心配で心配でたまらない夜でした。

(私の実家とは、夜中にやっと連絡がついて、みんな無事だと聞き安心することができました。
義弟家族は、ディズニーシーから10時間以上かけて翌早朝に車で帰ってきました。
ものすごい渋滞にはまって、ほとんど身動きがとれなかったようです。
小笠原に行っていた義弟は、地震発生直前にフェリーで東京に向けて出発していたため
地震の揺れにはまったく気づかなかったとのこと。
津波の心配もありましたが、翌日に無事に帰ってきました。
みんなギリギリな状態でしたが、幸いなことに無事に帰ってこれたのです。)

でも、TVもつかないので
情報があまり入ってこなくて
(しばらくしてから義父がラジオを出してきてみんなで聞いていましたが。
スマートフォンでもニュースは見れるけど
実家の家族と連絡が取れるまでは、そんなことを考える余裕もなくて
ひたすら電話とメールの機能しか使っていませんでした。)
悲惨な現実を目の当たりにしたのは
翌朝、TVが見れるようになってからでした。

初めてTVで見た時に、ものすごい衝撃を受けました。

何が起きたの!?って感じ。
自分もすごい揺れを体験したのだけど
まさか東北地方がこんなことになっているなんて・・・


TVでその光景を目にし、被災者の方のお話を聞いていて
涙が溢れました。


厳しすぎる現実。

まだまだ余震の心配もあるし
今は原発の不安もあるし
被災地は寒いし、食料や生活用品も不足しているようですね。
家族や家を失った被災者の方々は本当に辛い日々をお過ごしだと思います。


比べるのはおかしいけれど
家族もみんな無事で家もある。

それがどんなに幸せなことか。

自分の状況、今まで当たり前と思っていた状況があることに
感謝し大切に生きていこう。

私たち個人ができること、ささやかかもしれないけど
みんながすればきっと大きな力になりますよね。

節電・節水、買物のしかた、気をつけようと思います。
思うだけでなく、もちろん実行です。

被災した方々や日本の国が、一日も早く元気を取り戻し、
みんなが安心して笑顔で暮らせる国になりますように。




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テーマ : 日記 - ジャンル : 育児

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